[春秋要約161122]「保護主義」は罪なき民の悲劇の源との歴史の教訓を、米次期大統領も唱和してほしい。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 1

2016/11/22付

「なにをぐずぐずしている!」「泣いたら、置いて行くぞ!」。15日に死去した作家、藤原ていさんの「流れる星は生きている」の一こまだ。終戦の翌年、幼子3人を連れ、朝鮮半島を徒歩で南下し始める。生きて祖国へという執念と家族愛があふれ目頭が熱くなる
▼激しい男言葉で子らをどなり、尻をたたき、時に突き飛ばしたという。後に作家の新田次郎となる夫は、抑留中で不在だった。1976年の文庫版のあとがきには、当時5歳だった長男も今は35歳で自動車メーカー勤務と記した後、「引揚げの話にふれると、黙って席を立ってしまう」と明かした。負った傷の深さを思う。
▼75年前の今ごろ、日米の交渉は絶望的になって、開戦が差し迫っていた。11月26日、真珠湾攻撃の部隊が択捉島を出港し、同日(米時間)に、日本軍の中国からの撤兵を求めるハル・ノートが手渡された。12月1日、御前会議で対米英蘭戦が正式決定。8日、ハワイ上空の海軍機から「奇襲ニ成功セリ」が打電されている。
外交史が専門細谷雄一さんは、戦前の日本を破滅に導いた一因に「孤立主義への誘惑」をあげている。藤原さんら、罪なき民の悲劇の源だ。南米・リマでアジア太平洋諸国の首脳らは「あらゆる形の保護主義に対抗する」と表明した。歴史の教訓は生きている。陰の主役だった米次期大統領もぜひ唱和してほしいものだ。

要約

[298/300文字]
15日に死去した作家、藤原ていさんは終戦の翌年、夫が抑留中で不在の中、幼子3人を連れ、朝鮮半島を徒歩で南下。
生きて祖国へという執念と家族愛があふれる。

75年前の今ごろ、日米の交渉は絶望的になって、開戦が差し迫っていた。
11月26日、真珠湾攻撃の部隊が択捉島を出港し、日本軍の中国からの撤兵を求めるハル・ノートが手渡された。
12月1日、対米英蘭戦が正式決定。
8日、ハワイ上空から「奇襲ニ成功セリ」が打電されている。

戦前の日本を破滅に導いた一因に「孤立主義への誘惑」をあげられる。
罪なき民の悲劇の源だ。
南米・リマでアジア太平洋諸国の首脳らは「あらゆる形の保護主義に対抗する」と表明した。
歴史の教訓は生きている。
陰の主役だった米次期大統領もぜひ唱和してほしいものだ。

[197/200文字]
75年前の今ごろ、日米の交渉は絶望的になって、開戦が差し迫っていた。
11月26日、真珠湾攻撃の部隊が択捉島を出港。
12月1日、対米英蘭戦が正式決定。
8日、ハワイ上空から「奇襲ニ成功セリ」が打電。

戦前の日本を破滅に導いた一因に「孤立主義への誘惑」をあげられる。
罪なき民の悲劇の源だ。
南米・リマでアジア太平洋諸国の首脳らは「あらゆる形の保護主義に対抗する」と表明した。
歴史の教訓は生きている。
陰の主役だった米次期大統領もぜひ唱和してほしいものだ。