[春秋要約161230]厄にあえばくじけぬ心が大切だ。厄払いの時節、列島の厄が福に変わるのを待とう。<38文字> #sjdis #sjyouyaku

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2016/12/30付

こりゃよい眺めだ。暮れの30日の屋根の上。瓦にまたがって大胆いっぷくしていれば、借金取りは今日も留守だねと帰って行く。のろのろと降りる。長いはしごを窓の敷居にのせ「子供を相手に拙者シーソーをする」。作家・井伏鱒二が詩「歳末閑居」で描いた情景だ。
▼大正末から昭和初期のことである。なかなか世に出られない。いつも懐が寒い。だまされて負債がふくらむ年末も金策に走る。不況と左翼運動で社会は騒がしい。軍靴の響きも高くなってきた。八方ふさがりの屈託をふるい落とすように、とぼけた味の詩に書いた。「厄除札(やくよけふだ)」代わりのつもりで「厄除け詩集」を作った。
年の瀬は厄払いの時節でもある。江戸時代には専門家がいた。「どんな悪魔が来ても西の海にさらりと払いましょう」。街角で声をかけ、口上でご祝儀をかせいでいたそうだ。あまり効かなかったのか、いまではとんと見かけない。今年は地震、台風、大火、疫病の被害が相次いだ。まとめて吹き飛ばしたいところである。
▼今風にいうと厄はリスクである。備えて防ぎたい。それでも遭えば、最後はくじけぬ心が大切だ。「詩集」の御利益か、作家は95歳で亡くなるまで書き続け「黒い雨」などの名作を残した。気持ちの切り替えもうまかったのだろう。やがて果報を呼び寄せた。井伏にならい列島の厄が福に変わるのをじっくり待つとしよう。

要約

[299/300文字]
作家・井伏鱒二は「厄除札(やくよけふだ)」代わりのつもりで「厄除け詩集」を作った。
大正末から昭和初期のことである。
年末も金策に走る。
不況と左翼運動で社会は騒がしい。
軍靴の響きも高くなってきた。
八方ふさがりの屈託をふるい落とすように、とぼけた味の詩を書いた。

年の瀬は厄払いの時節でもある。
今年は地震、台風、大火、疫病の被害が相次いだ。
まとめて吹き飛ばしたいところである。

今風にいうと厄はリスクである。
備えて防ぎたい。
それでも遭えば、最後はくじけぬ心が大切だ。
「詩集」の御利益か、作家は95歳で亡くなるまで書き続け「黒い雨」などの名作を残した。
気持ちの切り替えもうまかったのだろう。
やがて果報を呼び寄せた。
井伏にならい列島の厄が福に変わるのをじっくり待つとしよう。

[188/200文字]
作家・井伏鱒二は「厄除札」代わりに「厄除け詩集」を作った。
八方ふさがりの屈託をふるい落とすように、とぼけた味の詩を書いた。

気持ちの切り替えもうまかったのだろう。
やがて「黒い雨」などの名作を残した。

年の瀬は厄払いの時節でもある。
今年は地震、台風、大火、疫病の被害が相次いだ。

今風にいうと厄はリスクである。
備えて防ぎたい。
それでも遭えば、最後はくじけぬ心が大切だ。
井伏にならい列島の厄が福に変わるのをじっくり待つとしよう。