[春秋要約170311]「帰還困難区域」では怒りや無念を胸に廃炉への工程を身近にしながらの日々が続く。<39文字> #sjdis #sjyouyaku

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2017/3/11付

数日前、福島県いわき市から国道6号を北へ向かって車を走らせた。好天の中、群青色の太平洋が光る。白い花は梅か。やがて「この先、二輪車、歩行者は通行禁止」といった表示が目立ち始める。原発事故の影響で放射線量が高いレベルのままの「帰還困難区域」だ。
▼民家の入り口は鉄パイプと金網で封鎖されている飲食や衣料のチェーン店は、高々と看板を掲げてはいるが中に人けはない。ガソリンスタンドを一面の雑草が覆う信号は黄が点滅しているだけの所が多い。交差する道から車も人も来ないのだ。日本の歴史上、初めて出現したと思われる光景だが、すでに6年が過ぎた
▼国費での除染も進め、5年先には住民が戻って来られる段取りにはなっている。しかし、他の地区の前例から、ふるさとが元の活気やにぎわいを取り戻すのは、そう簡単ではあるまい。平穏な暮らしを奪った事故への怒りや無念。さまざまなわだかまりを胸に、数十年とされる廃炉への工程を身近にしながらの日々になる。
▼「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」。石牟礼道子さんが水俣病患者のこんな言葉を書き留めている。直後にこう添えた。「そこまで言うには、のたうち這(は)いずり回る夜が幾万夜あったことか」。甚大な厄災を、年月をかけて乗り越えた魂の粘り強さと気高さを感じる。郷土を取り戻す道をも照らすようだ。

要約

[299/300文字]
「帰還困難区域」にある民家は鉄パイプと金網で封鎖されている。
飲食や衣料のチェーン店は中に人けはない。
ガソリンスタンドを雑草が覆う。
信号は黄が点滅しているだけ。
交差する道から車も人も来ないのだ。
こんな光景のまますでに6年が過ぎた。

除染が進み5年先には住民が戻って来られる段取りにはなっている。
しかし、ふるさとが元の活気やにぎわいを取り戻すのは、そう簡単ではあるまい。
平穏な暮らしを奪った事故への怒りや無念。
さまざまなわだかまりを胸に、数十年とされる廃炉への工程を身近にしながらの日々になる。

水俣病患者ものたうち這いずり回る夜が幾万夜あったという。
甚大な厄災を、年月をかけて乗り越えた魂の粘り強さと気高さ。
郷土を取り戻す道をも照らすようだ。

[192/200文字]
「帰還困難区域」には車も人も来ない。
こんな光景のまますでに6年が過ぎた。

除染が進み5年先には住民が戻って来られる段取りにはなっている。
しかし、ふるさとが元の活気やにぎわいを取り戻すのは、簡単ではあるまい。
平穏な暮らしを奪った事故への怒りや無念。
数十年とされる廃炉への工程を身近にしながらの日々になる。

水俣病患者も甚大な厄災を、年月をかけて乗り越えた。
その魂の粘り強さと気高さは郷土を取り戻す道をも照らすようだ。