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[春秋要約1706]幸田露伴なら「五重塔」のように東京スカイツリーも鮮やかに描いたかもしれない。<38文字> #sjdis #sjyouyaku

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2017/7/6付

東京都台東区の谷中霊園の一角にはむかし、五重塔があった。江戸時代のはやい時期に建てられ、大火のためにいちど焼け落ちたが、220年ほど前に再建された。この再建事業を題材にして、わかき幸田露伴が代表作の「五重塔」を書いたことは、よく知られている。
▼「金剛力士が魔軍を睥睨(にら)んで十六丈の姿を現じ坤軸(こんじく)動(ゆる)がす足ぶみして巌上(いわお)に突立ちたるごとく」。いま読むと露伴の文章は仰々しく感じられる。実際の高さにしても16丈つまり48メートルもあったわけではないらしい。それでも当時の塔の存在感を伝える名調子ではあろう。江戸はもちろん関東一円で最も高い塔だったそうだ。
露伴が小説を発表したのは明治のなかば。そのときすでに「百有余年」の歴史を持っていた谷中五重塔は、さらに大正の関東大震災も昭和の大空襲も生きのびた。60年前のきょう、放火心中事件の舞台となって焼失したのは、なんとも残念ではある。いま跡地には礎石がのこり、写真でかつての雄姿をしのぶことはできる。
五重塔が姿を消した55年後にできたのが東京スカイツリーだ。高さは20倍近い。現代の科学技術の力に改めて驚くが、なかに「心柱」を通す構造に古来のノウハウが生きているとか。作家になる前は通信技師だった露伴なら、21世紀の職人気質も鮮やかに描いてみせたかもしれない。やがて没後70年、生誕150年になる。

要約

[292/300文字]
東京都台東区の谷中霊園に五重塔があった。
江戸時代のはやい時期に建てられ、大火でいちど焼け落ちたが、220年ほど前に再建された。
この再建事業を題材に、幸田露伴が代表作「五重塔」を書いた。

江戸はもちろん関東一円で最も高い塔だったそうだ。

谷中五重塔は、大正の関東大震災も昭和の大空襲も生きのびた。
60年前のきょう、放火心中事件の舞台となって焼失した。
いま跡地には礎石がのこり、写真でかつての雄姿をしのぶことはできる。

五重塔が姿を消した55年後にできたのが東京スカイツリーだ。
高さは20倍近い。
「心柱」を通す構造に古来のノウハウが生きているとか。
作家になる前は通信技師だった露伴なら、鮮やかに描いてみせたかもしれない。
やがて没後70年、生誕150年になる。

[192/200文字]
江戸初期に建てられた台東区の谷中五重塔は大火でいちど焼け落ちたが、220年ほど前に再建された。
この再建事業を題材に、幸田露伴が代表作「五重塔」を書いた。

60年前に放火心中事件の舞台となり焼失。
いま跡地には礎石がのこり、写真でかつての雄姿をしのぶことはできる。

五重塔が姿を消した55年後にできたのが東京スカイツリーだ。
作家になる前は通信技師だった露伴なら、鮮やかに描いてみせたかもしれない。
やがて没後70年、生誕150年になる。