2017/4/2付
数日前の夕、東京の上野公園に足を運んだ。三分咲きほどのサクラの下、青のシートに料理や飲み物を並べ若者たちがはしゃいでいる。ロープを張った中で1人スマホに見入る場所取りの男性もいた。花見は春を祝い、野外で酒食をともにする古くからの習わしである。
▼主役のソメイヨシノは江戸末期に人工的に作られ、明治に入って東京・染井の植木店が広めたという。おびただしい数の花と散り際の美しさが見る者を酔わせる。かつての代表ヤマザクラは「やまとごころ」の象徴として歌にも詠まれた。こちらは開花と同時に若葉も出る。往時の花見の風情は現代とはかなり違ったろう。
▼「花は満開の時だけをめでるものなのだろうか」と徒然草で兼好は書いた。続けて「近く咲きそうな枝先や、花びらが散っている庭も見どころが多い」と訴える。「家を出ずに花のさまを思い描くのもまたよい」。今風の言葉でいえば「エア花見」か。花好きを前面に出さずに、静かに趣を味わうのが風流人だ、ともいう。
▼サクラ前線は5月までひと月半かけ列島を染めて行く。時至れば咲き、散る。兼好は知性と感性を総動員し、花を味わいつくそうとしていたかにみえる。その姿勢に自然の摂理への畏敬が潜んでいよう。むろん、我々の心の底にも備わっているはずだ。花の下にたたずめる回数には限りがある。騒ぐだけではもったいない。
要約
[300/300文字]
花見は春を祝い、野外で酒食をともにする古くからの習わしである。
主役のソメイヨシノは江戸末期に人工的に作られ、明治に入って広まったという。
おびただしい数の花と散り際の美しさが見る者を酔わせる。
かつての代表ヤマザクラは開花と同時に若葉も出る。
往時の花見の風情は現代とはかなり違ったろう。
兼好は徒然草で「花好きを前面に出さずに、静かに趣を味わうのが風流人だ」との意味のことを書いた。
サクラ前線はひと月半かけ列島を染めて行く。
兼好は知性と感性を総動員し、花を味わいつくそうとしていたかにみえる。
その姿勢に自然の摂理への畏敬が潜んでいよう。
むろん、我々の心の底にも備わっているはずだ。
花の下にたたずめる回数には限りがある。騒ぐだけではもったいない。
[200/200文字]
花見は春を祝い、野外で酒食をともにする古くからの習わしである。
ソメイヨシノはおびただしい数の花と散り際の美しさが見る者を酔わせる。
兼好は徒然草で「花好きを前面に出さずに、静かに趣を味わうのが風流人だ」との意味のことを書いた。
兼好は知性と感性を総動員し、花を味わいつくそうとする姿勢には自然の摂理への畏敬が潜んでいよう。
むろん、我々の心の底にも備わっているはずだ。
花の下にたたずめる回数には限りがある。騒ぐだけではもったいない。