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[春秋要約161225]イエス降誕を祝うなら隣人愛などの教えを思い私たちそれぞれの救いの灯をともしたい。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

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2016/12/25付

15世紀イタリアの画家、ボッティチェリの「聖母子」。青いマント姿のマリアは、わが子の未来の運命を思ってか伏し目がちだ。抱かれたイエスは振り返るように母を見上げている表情はあどけない。大事な得意先から個人での礼拝用として発注があった絵画という。
▼十数年後、ダ・ヴィンチが「最後の晩餐(ばんさん)」を描く有力者が修道院へ寄贈したイエスが弟子らと食事中に「あなたがたのうち一人がわたしを裏切ろうとしている」と告げた刹那である。両手を上げる者、ナイフで悪漢に挑もうとする者、立ち上がる者と、動画のように生き生きしている。舞台での演出経験が生きたようだ。
▼多くの芸術家が感性と祈りを込めイエスの生涯を表現してきた。日本でも戦災孤児の姿に重ねた短編小説がある。石川淳「焼跡(やけあと)のイエス」だ。舞台は終戦直後の闇市。店先で握り飯をかっさらい、財布やパンを奪う少年に、善悪を超えた根源的な命の力を見る。人々が新たな生き方を迫られた混乱期ならではの類比だろう。
テロや戦闘の報が年末まで続き、真珠湾での日米の慰霊も近い。せっかく降誕を祝うなら、主役をごちそうや贈り物だけにはせず、イエスの説いた隣人愛などの教えが、今の世にどう生かせるかにも思いを致したい。古来、画家や作家が銘々に救い主の姿を造形したように、私たちにもそれぞれの灯がともるのではないか。

要約

[295/300文字]
ボッティチェリの「聖母子」や、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。
多くの芸術家が感性と祈りを込めイエスの生涯を表現してきた。
日本でも戦災孤児の姿に重ねた短編小説がある。
石川淳「焼跡のイエス」だ。
舞台は終戦直後の闇市。
店先で握り飯をかっさらい、財布やパンを奪う少年に、善悪を超えた根源的な命の力を見る。
人々が新たな生き方を迫られた混乱期ならではの類比だろう。

テロや戦闘の報が年末まで続き、真珠湾での日米の慰霊も近い。
せっかく降誕を祝うなら、主役をごちそうや贈り物だけにはせず、イエスの説いた隣人愛などの教えが、今の世にどう生かせるかにも思いを致したい。
古来、画家や作家が銘々に救い主の姿を造形したように、私たちにもそれぞれの灯がともるのではないか。

[198/200文字]
ボッティチェリの「聖母子」や、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。
多くの芸術家が感性と祈りを込めイエスの生涯を表現してきた。
日本でも戦災孤児の姿に重ねた短編小説、石川淳「焼跡のイエス」には善悪を超えた根源的な命の力を見る。

テロや戦闘の報が年末まで続き、真珠湾での日米の慰霊も近い。
せっかく降誕を祝うなら、隣人愛などの教えがどう生かせるか思いを致したい。
画家や作家が救い主の姿を造形したように、私たちにもそれぞれの灯がともるのではないか。