2017/3/16付
並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。1988年、米ピッツバーグ大の付属病院を訪ねた際にもそれを感じた。目立った特徴があるわけでもない一人の男性がこちらに歩いてくる。片手はポケットに突っ込んだまま、ゆっくりとした足取りだった。
▼写真で見たことさえなかったが、その瞬間、この人が臓器移植の父、トーマス・スターツル教授であると確信した。コロラド大で世界初の肝臓移植を手がけ、その後ピッツバーグにやって来ていたのだ。鉄冷えに苦しむかつての工業都市は教授をヒーローとして迎え、移植医療を看板に掲げる新たな街づくりを進めていた。
▼教授が漂わせる空気感と同じくらい驚いたのは、患者に対する情報提供の徹底ぶりだ。病室のベッド脇の壁には、毎日の検査の結果や投与している薬の分量などが張り出されていた。小児病棟では、おなかを開けるとリアルな内臓模型が出てくる「ザディーちゃん人形」を使い、子どもの患者に手術の手順を説明していた。
▼当時、脳死での移植が行われていなかった日本の実情を話すと、病院のスタッフは「大切なのは患者との信頼関係だ」と話した。いまは日本でも脳死移植で多くの命が救われている。だが乳幼児の臓器提供は少なく、募金を頼りに海外へ渡る事例も続く。スターツル教授の訃報を聞き、ピッツバーグの街並みを思い出した。
要約
[300/300文字]
並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。
1988年、米ピッツバーグ大の付属病院を訪ねた際にもそれを感じた。
目立った特徴もない一人の男性がこちらに歩いてくる。
その瞬間、この人が臓器移植の父、トーマス・スターツル教授であると確信した。
そして検査の結果や薬の分量、子どもの患者への手術の説明など情報提供の徹底ぶりには、教授の空気感と同じくらい驚いた
当時、脳死での移植が行われていなかった日本の実情を話すと、病院のスタッフは「大切なのは患者との信頼関係だ」と話した。
いまは日本でも脳死移植で多くの命が救われている。
だが乳幼児の臓器提供は少なく、募金を頼りに海外へ渡る事例も続く。
スターツル教授の訃報を聞き、ピッツバーグの街並みを思い出した。
[180/200文字]
並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。
1988年、米ピッツバーグ大の付属病院で臓器移植の父、トーマス・スターツル教授にそれを感じた。
そして患者へ情報提供の徹底ぶりには、教授の空気感と同じくらい驚いた
いまは日本でも脳死移植で多くの命が救われている。
だが乳幼児の臓器提供は少なく、募金を頼りに海外へ渡る事例も続く。
スターツル教授の訃報を聞き、ピッツバーグの街並みを思い出した。