2017/5/5付
吉村昭さんが残したエッセー「東京の下町」は、一冊まるごと、昭和戦前期の子どもたちの生活誌である。夏祭りの興奮、ベイゴマ遊び、町内にいくつもあった映画館の匂い……。都心からそう離れていない日暮里町での暮らしだが、庶民の営みは穏やかでつつましい。
▼いまではすっかり消えたのは、さまざまな物売りだろう。明け方の豆腐、納豆から始まっておでん、シューマイ、あめ細工。梅雨時には青梅の笊(ざる)を担いで商う男、夏は金魚、朝顔、虫売り、などと紹介しているときりがないが、家の中と表との垣根は低く、子どもたちはそういう人々との付き合いを通じて成長していった。
▼同時代に育った池波正太郎さんの随筆にも似たような話が出てくる。池波少年の場合は「どんどん焼き」のおやじに気に入られ、店番をまかされたというから一人前だ。街路は子どもたちの遊び場であり、世間のルールやわきまえを知る場所であったろう。もちろんそれを、町の大人がゆったりと見守っていたに違いない。
▼吉村さんも池波さんも、ことさらにそんな時代を美化してはいない。貧富の差は激しく、矛盾も多々あったはずだ。それでも回想から伝わってくるのは、地域が備えていた巧まざる教育力と、おおらかさである。子どもの声が騒音扱いされる現代の「こどもの日」。大人たちが子どもと社会について自問する日でもあろう。
要約
[291/300文字]
昭和戦前期の子どもたちの生活は穏やかでつつましい。
夏祭りの興奮、ベイゴマ遊び、町内にいくつもあった映画館の匂い……。
いまではすっかり消えたさまざまな物売りとの垣根は低く、子どもたちはそういう人々との付き合いを通じて成長していった。
街路は子どもたちの遊び場であり、世間のルールやわきまえを知る場所であったろう。
もちろんそれを、町の大人がゆったりと見守っていたに違いない。
そんな時代を美化はできない。
貧富の差は激しく、矛盾も多々あったはずだ。
それでもその回想からは、地域が備えていた巧まざる教育力とおおらかさが伝わってくる。
子どもの声が騒音扱いされる現代の「こどもの日」。
大人たちが子どもと社会について自問する日でもあろう。
[184/200文字]
昭和戦前期の子どもたちはさまざまな物売りとの付き合いを通じて成長した。
街路は子どもたちの遊び場であり、世間のルールやわきまえを知る場所であったろう。
もちろんそれを、町の大人がゆったりと見守っていた。
貧富の差は激しく矛盾も多々あったはずだが、地域が備えていた教育力とおおらかさが伝わってくる。
子どもの声が騒音扱いされる現代の「こどもの日」。
大人たちが子どもと社会について自問する日でもあろう。