[春秋要約161013]いつまでも選択的別姓の導入ができない日本に、多様性を重んじる世論は納得できない。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

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2016/10/13付

落語には「くすぐり」がつきものである。本筋と関係のない駄じゃれやギャグをちょいと織り交ぜて観客の笑いを誘う。その昔「お正月に坊さんが2人で和尚がツー」などとやっていた林家三平師匠みたいに、むしろ「くすぐり」がのちのちまで忘れられない芸もある
▼裁判の判決だって、ときに似たところがあろう最高裁大法廷は昨年12月、民法の夫婦同姓規定を合憲と断じ、選択的別姓を求める声を退けた。しかし判決は、あえて言葉を添えて人々をくすぐったものである。「改姓の不利益は通称使用が広がることで緩和される」。結論はさておいて、この指摘はいろいろ注目された
▼ところが、新たにこんな判決が出ると「くすぐり」の軽さを嘆かざるを得ない。私立学校の女性教諭が職場での旧姓使用を求めた訴訟で、東京地裁はおととい、請求を棄却した。「旧姓を戸籍姓と同じように使うことが社会に根づいているとまではいえない」そうだから、最高裁が言い添えたことなど、どこ吹く風である
▼考えてみればどっちもどっち。旧姓使用の応急策ではこの問題が落着しない現実を示しているのかもしれない。かつて法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を答申してから20年になる。日本がたじろいでいる間に、欧米やアジアは大きく変わった。多様性を重んじる世論が、いつまで「くすぐり」に反応してくれるだろうか

要約

[299/300文字]
最高裁大法廷は昨年12月、民法の夫婦同姓規定を合憲と断じ、選択的別姓を求める声を退けた。
しかし判決は、あえて「改姓の不利益は通称使用が広がることで緩和される」と言葉を添えた。
結論はさておいて、この指摘はいろいろ注目された。

ところがおととい、東京地裁は「旧姓を戸籍姓と同じように使うことが社会に根づいているとまではいえない」との理由で、旧姓使用を求めた請求を棄却。
これでは最高裁で添えられた言葉の軽さを嘆かざるを得ない。

考えてみればどっちもどっち。
かつて法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を答申してから20年になる。
日本がたじろいでいる間に、欧米やアジアは大きく変わった。
多様性を重んじる世論が、いつまで旧姓使用の応急策で納得してくれるだろうか。

[200/200文字]
昨年12月最高裁は、選択的別姓を求める声を退けた。
しかし「改姓の不利益は通称使用が広がることで緩和される」と言葉を添えた。

ところが、おととい東京地裁は「旧姓の通称使用は根づいていない」と請求を棄却。
これでは最高裁で添えられた言葉の軽さを嘆かざるを得ない。

法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を答申してから20年。
日本がたじろいでいる間に、欧米やアジアは大きく変わった。
多様性を重んじる世論は、いつまも旧姓使用の応急策では納得しないだろう。