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[春秋要約170429]尾崎豊さん急死から25年。スマホを握りしめる若者の次代を創る気概はあせていないか。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

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2017/4/29付

25年前の4月25日。ミュージシャンの尾崎豊さん急死の報が流れたのは土曜日の午後だった。ひよっこ記者として、東京都足立区の警視庁千住警察署に駆けつけた記憶は今も鮮明である。副署長の席の前に陣取って、刻々と入ってくる情報に耳を澄まし、メモをとった
▼「15の夜」「I LOVE YOU」などの曲で若者の教祖と仰がれながら、26歳で迎えた衝撃の終幕だった。30日にあった追悼式の参列者は雨中に3万7000人を超えている。学校や社会での閉塞感をストレートに代弁し、時に甘美な旋律に包んだ音楽が青春のさまざまな苦悩に寄り添った時代だったといえようか。
▼顧みれば当時、インターネットやメールは普及していない携帯電話はまるでダンベルだった。親友であれ、苦手な人であれ、意思の疎通には今より一手間か二手間、余計にかかった気がする。不器用なティーンには音楽が気持ちを通わすツールでもあったろう。追悼式でもギターを鳴らすファンの周りに輪ができていた
▼今、若者は一日中、お守りのようにスマホを握りしめる好みの情報には心地よく浸りそのほかは反発する以前に素通りだ。「これからは何が俺を縛りつけるだろう」。尾崎さんは歌で絶叫した。技術は図らずも若者と周囲の対決色を薄めたかもしれない。しかし、次代を創る気概まであせていないことは切に祈りたい

要約

[290/300文字]
ミュージシャンの尾崎豊さん急死は25年前の4月25日。

若者の教祖と仰がれながら、26歳で迎えた衝撃の終幕だった。
学校や社会での閉塞感をストレートに代弁し、時に甘美な旋律に包んだ。

顧みれば当時、インターネットやメールは普及していない。
意思の疎通には今より、余計にかかった気がする。
不器用なティーンには音楽が気持ちを通わすツールでもあったろう。

今、若者は一日中、お守りのようにスマホを握りしめる。
好みの情報には心地よく浸り、そのほかは反発する以前に素通りだ。
「これからは何が俺を縛りつけるだろう」。
尾崎さんは歌で絶叫した。
技術は図らずも若者と周囲の対決色を薄めたかもしれない。
しかし、次代を創る気概まであせていないことは切に祈りたい。

[196/200文字]
尾崎豊さん急死は25年前の4月25日。

若者の教祖と仰がれながら、26歳で迎えた衝撃の終幕だった。
学校や社会での閉塞感を代弁し、甘美な旋律に包んだ。

当時、インターネットやメールは普及していない。
意思の疎通には今より、余計にかかった気がする。

今、若者は一日中スマホを握りしめる。
「これからは何が俺を縛りつけるだろう」。
尾崎さんは歌で絶叫した。
技術は若者と周囲の対決色を薄めたかもしれない。
しかし、次代を創る気概まであせていないと祈りたい。