2016/10/14付
熊本市の宮本儀子さん(49)は22年前、2歳の長男、孝祐くんを原因不明の急性脳症で亡くした。高熱を発して4日目のことだ。泣き明かす日々のなか、医師の助言もあり突然の病で子を失った母親らが語り合うサークルを立ち上げた。「熊本エンジェルの会」という。
▼年に数回、出席者らはお茶菓子を前に互いの境遇を語り、聴く。うなずき、時に涙し、会の終わりには皆に少し笑顔が戻った。後に授かった2人の子育ての傍ら、宮本さんは息の長い活動を続け、出席者は延べ数百人にもなった。会社員だった夫の桂樹さんも運営を手助けしていたが、3年前、胃がんが見つかり手術した。
▼一時は職場復帰を果たすものの、昨年秋、転移がわかる。宮本さん自身、東京都内に住む母親に介護が必要になったり、父親が亡くなったりと気苦労が募り、その上、夫の病状も次第に重くなる。震度7が襲ったのは、そんな時だ。水や食べ物もない。避難所では感染症の恐れもある。余震におびえつつ、懸命に看護した。
▼定年後は社会保険労務士を目標にしていた夫だったが8月10日、永眠した。60歳。「孝祐から『父さん、来るの早すぎ』と言われてないかな」と宮本さんは笑う。運命は人を翻弄する。しかし、聴いてもらうだけで再起の力になる。熊本地震から今日で半年、宮本さんは確信を深めた。4月から休んだ会は来月、再開する。
要約
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熊本市の宮本儀子さんは22年前、2歳の長男、孝祐くんを急性脳症で亡くした。
泣き明かす日々のなか、突然の病で子を失った母親らが語り合う「熊本エンジェルの会」を立ち上げた。
後に授かった2人の子育ての傍ら、宮本さんは活動を続け、出席者は延べ数百人にもなった。
夫の桂樹さんも運営を手助けしていたが、3年前、胃がんが見つかり手術。
昨年秋に転移がわかる。
宮本さん自身、東京都内に住む母親に介護が必要になったり、父親が亡くなったりと気苦労が募り、夫の病状も次第に重くなる。
そんな時、震度7が襲った。
余震におびえつつ、懸命に看護した。
夫は8月10日永眠した。
運命は人を翻弄する。
しかし、聴いてもらうだけで再起の力になると確信を深めた。
熊本地震から半年休んだ会は来月、再開する。
[194/200文字]
22年前、2歳の長男を急性脳症で亡くした熊本市の宮本儀子さんは、病で子を失った母親らが語り合う「熊本エンジェルの会」を立ち上げた。
会を手伝っていた夫は3年前、胃がんの手術。
昨年秋に転移がわかる。
母親の介護や、父親の死と気苦労が募る。
そんな時、震度7が襲った。
余震におびえつつ、夫を懸命に看護したが8月10日永眠。
運命は人を翻弄する。
しかし、聴いてもらうだけで再起の力になると確信を深めた。
熊本地震から半年休んだ会は来月、再開する。