2017/1/23付
「寒いなあ、今晩は鍋だね」「何鍋にする? 鶏? 牡蠣(かき)?」。きょうも日本中で、こんなやり取りが繰り返されているはずだ。冬は鍋にすれば献立がラク、という主婦も多い。家事に追われながら句作に励んだ杉田久女も詠んでいる。「寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ」
▼とはいえ久女が台所をあずかっていた大正から昭和の初めごろは、鍋料理も支度にいささか手間がかかったに違いない。あまりバリエーションもなかっただろう。それが今はありとあらゆる鍋スープが売り出され、スーパーの棚は鍋戦争の様相だ。薬膳、激辛、塩ちゃんこ、カレー風、トマト味……。何でもござれである。
▼こんなさまざまな鍋を食卓で囲めるようになったのも、先人が発想を転換してくれたおかげらしい。柳田国男の「明治大正史 世相篇」によれば、かつて食べ物を調理する「清い火」は荒神様が守る台所のみにあるとされた。その拘束を離れて「竈(かまど)の分裂」を進めたことで、近代になって鍋料理がどんどん普及したという
▼してみれば、鍋物の発達は家事合理化の象徴にほかならない。現代も流れは止まらず、手軽に楽しめる「家鍋」がますます隆盛というわけだ。「足袋つぐやノラともならず教師妻」。久女が自由になれぬ身を嘆いた時代から1世紀。鍋料理はずいぶん進歩した。女性の活躍がそれと同じくらい進んだかどうかは定かでない。
要約
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冬は鍋にすれば献立がラク、という主婦も多い。
とはいえ大正から昭和の初めごろは、鍋料理も支度にいささか手間がかかったに違いない。
あまりバリエーションもなかっただろう。
それが今はありとあらゆる鍋スープが売り出され、スーパーの棚は鍋戦争の様相だ。
さまざまな鍋を食卓で囲めるようになったのも、先人が発想を転換してくれたおかげらしい。
かつて食べ物を調理するのは台所のみだったがその拘束が離れたことで、鍋料理が普及したという。
してみれば、鍋物の発達は家事合理化の象徴にほかならない。
現代も流れは止まらず、手軽に楽しめる「家鍋」がますます隆盛というわけだ。
1世紀で鍋料理はずいぶん進歩した。
女性の活躍がそれと同じくらい進んだかどうかは定かでない。
[191/200文字]
冬は鍋にすれば献立がラク、という主婦も多い。
とはいえ大正から昭和の初めごろは、鍋料理も支度に手間がかかったに違いない。
あまりバリエーションもなかっただろう。
さまざまな鍋を食卓で囲めるようになったのは、食べ物を調理するのは台所のみという拘束が離れたからという。
してみれば、鍋物の発達は家事合理化の象徴にほかならない。
1世紀で鍋料理はずいぶん進歩した。
女性の活躍がそれと同じくらい進んだかどうかは定かでない。