2017/6/23付
「写真の中の少年 僕の祖父 何を思っているのだろう」。梅雨の明けた沖縄は、きょう慰霊の日を迎えた。全戦没者追悼式では、県内の学校に通う少年少女らの自作の詩が朗読されてきた。10年前に披露された当時中学2年生の作品を今も時折思い起こすことがある。
▼自宅にあった写真集が、創作のきっかけだったという。1945年3月の座間味島である。米兵の呼びかけに応じ壕(ごう)から出てきた住民。誰もが疲れ、おびえきっている。うち1人が、そのころ10代初めの祖父だった。壕から出るまでの葛藤は祖父からじかに聞いた。「壕の外でアメリカ兵の声 『出て来い』と叫んでいる」
▼「出て行くと殺される」。先頭に立って出ようとする母親を、少年だった祖父は必死に止めた。「もう終わりだ」。米兵に捕まったら殺されてしまう、という思い込みから、島では悲惨な「集団自決」が起きた記録もある。絶望的な状況の中、命を落とすことをも覚悟し、母と少年はついに勇気を奮い外に出て行ったのだ。
▼詩は続く。「どんな逆境の中でも……頑張って生き抜いてきた祖父 だから今の僕がいる」。戦の世を生き抜き、家族を守ってきた祖父への敬意があふれる。「命のリレーは 祖父から母へ 母から僕へと つながった」。20万人が犠牲になった地上戦。記憶のバトンも、つながねばならない。鎮魂の朝に、微力ながら誓う。
要約
[292/300文字]
沖縄は慰霊の日を迎えた。
10年前に全戦没者追悼式で披露された当時中学2年生の作品を今も時折思い起こす。
1945年3月の座間味島。
米兵の呼びかけに応じ壕から出てきた10代初めの祖父。
壕から出るまでの葛藤は祖父からじかに聞いた。
「出て行くと殺される」。
出ようとする母親を、少年だった祖父は必死に止めた。
「もう終わりだ」。
米兵に捕まったら殺されてしまう、という思い込みから、島では「集団自決」が起きた記録もある。
絶望的な状況の中、命を落とすことをも覚悟し、母と少年はついに勇気を奮い外に出て行ったのだ。
詩は続く。
戦の世を生き抜き、家族を守ってきた祖父への敬意があふれる。
「命のリレーは 祖父から母へ 母から僕へと つながった」。
記憶のバトンも、つながねばならない。
[191/200文字]
沖縄は慰霊の日を迎えた。
10年前に追悼式で披露された作品を思い起こす。
1945年3月の座間味島。
米兵の呼びかけに応じ壕から出てきた10代初めの祖父の葛藤。
米兵に捕まったら殺されてしまう。と、「集団自決」が起きた記録もある。
命を落とすことをも覚悟し、母と少年は外に出て行ったのだ。
詩は戦の世を生き抜き、家族を守ってきた祖父への敬意があふれる。
「命のリレーは 祖父から母へ 母から僕へと つながった」。
記憶のバトンも、つながねばならない。