[春秋要約170622]加藤一二三・九段が現役引退。「一身にして二生を経るが如く」の将棋人生だったろう。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

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2017/6/22付

ある時将棋をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉(うれ)しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲(たた)きつけてやった。夏目漱石「坊っちゃん」の一節だ。主人公が少年時代、兄と対局したときの振る舞いだ。負けて悔しいのが将棋である
▼実戦中、力いっぱい駒をたたきつけ将棋盤を割ったという伝説の持ち主、加藤一二三・九段(77)が歴代最多の1180敗目を喫し、おととい現役を引退した加藤さんは投了前に東京都渋谷区の将棋会館にタクシーを呼んでいた。「感想戦はなしで」と観戦記者に告げ、疾風のように去った。やはり悔しかったのだろう。
▼50メートルを6.8秒で走る藤井聡太四段(14)顔負けの鮮やかな逃走劇だった。枯淡の境地の引き際ではない。「勝つことしか考えない」という棋界きっての個性派らしい終局だった。喜寿を過ぎ、なお尽きぬ勝利への真っすぐな思い。誰がまねできよう。それがよく分かっているからファンは奔放な「ひふみん」を敬愛する
加藤さんが14歳でプロデビューしたのは日本が独立を回復して2年後の1954年明治生まれの棋士が現役でいた。今や将棋ソフトが名人を破る人工知能の時代だ。「一身にして二生を経るが如く」の将棋人生だったろう。「将棋は戦いであると同時に人に感動を与える芸術」という自身の言葉にたがわぬ最終戦だった。

要約

[289/300文字]
負けて悔しいのが将棋である。

実戦中、力いっぱい駒をたたきつけ将棋盤を割ったという伝説の持ち主、加藤一二三・九段(77)が歴代最多の1180敗目を喫し、おととい現役を引退した。
加藤さんは投了前にタクシーを呼んで「感想戦はなしで」と観戦記者に告げ、疾風のように去った。
やはり悔しかったのだろう。

「勝つことしか考えない」という個性派らしい終局だった。
喜寿を過ぎ、なお尽きぬ勝利への真っすぐな思い。
それがよく分かっているからファンは奔放な「ひふみん」を敬愛する。

加藤さんが14歳でプロデビューしたのは1954年。
「一身にして二生を経るが如く」の将棋人生だったろう。
「将棋は戦いであると同時に人に感動を与える芸術」という自身の言葉にたがわぬ最終戦だった。

[200/200文字]
負けて悔しいのが将棋である。

加藤一二三・九段(77)が現役を引退した。
加藤さんは「感想戦はなしで」と記者に告げ、疾風のように去った。
やはり悔しかったのだろう。

「勝つことしか考えない」という個性派らしい終局だった。
喜寿を過ぎ、なお尽きぬ勝利への真っすぐな思い。

加藤さんが14歳でプロデビューしたのは1954年。
「一身にして二生を経るが如く」の将棋人生だったろう。
「将棋は戦いであると同時に人に感動を与える芸術」という自身の言葉にたがわぬ最終戦だった。