[春秋要約170824]「食品ロス」への反省の高まりから、ものを食べ切る気持ちよさを知る時期に来ている。<40文字> #sjdis #sjyouyaku
2017/8/24付 刺し身やすしを食べるときに、小皿にどのくらい醤油(しょうゆ)を注ぎますか。まあ適当に? 気にしてない? ところが向田邦子さんは子どものころ、少しでも醤油を残すと父親にこっぴ...
No time like the present!!
2017/8/24付 刺し身やすしを食べるときに、小皿にどのくらい醤油(しょうゆ)を注ぎますか。まあ適当に? 気にしてない? ところが向田邦子さんは子どものころ、少しでも醤油を残すと父親にこっぴ...
2017/8/23付 レーニン主義者だ、という。ちょうど1世紀前に起きたロシア革命の指導者の手法にならって政権を奪取し、国のかじ取りをしようとしていたのだろうか。トランプ米大統領の側近中の側近と...
2017/8/9付 近所のホームセンターをのぞいてみると、なるほど目立つところに並んでいる。アリを駆除するための薬剤やエサの入った容器がずらり。南米原産で強い毒を持つヒアリが各地で見つかってから...
2017/8/4付 昨年はじめ、米国で共和、民主両党とも大統領候補をまだ決めていなかった頃。かの国に長く住む日本人のシンクタンク研究員が、こう助言してくれたことがある。「トランプとサンダースを泡...
2017/8/1付 ごく近しい高齢の男性が詐欺に遭いそうになった。小欄を借り警鐘を鳴らしたい。きっかけは木曜の夜の電話だった。「あっ、おじいちゃん。俺だけど」。男性は相手を社会人になって数年の孫...
2017/7/1付 熊本生まれの作家、石牟礼道子さんが最近エッセーで明かしている。「幼いころ、この世で一番えらいのは『セイショコさま』という神様だと思っていた」。道普請を請け負う「石屋」の父が畏...
2017/6/23付 「写真の中の少年 僕の祖父 何を思っているのだろう」。梅雨の明けた沖縄は、きょう慰霊の日を迎えた。全戦没者追悼式では、県内の学校に通う少年少女らの自作の詩が朗読されてきた。...
2017/6/14付 明治2年の春、まだ16歳だった天皇は京都御所をあとに東京へ向かった。前年秋にも、岩倉具視や木戸孝允らおよそ3300人を従えて東京入りを果たしていたが年末にいったん還幸。しか...
2017/6/8付 経済学の教科書の定番といえばおじさん世代はポール・サミュエルソン。今はグレゴリー・マンキューだ。ブッシュ(子)政権で経済諮問委員会委員長を務めたハーバード大学のマンキュー教授...
2017/6/7付 「ねえ、どっか行こうよー」と子どもたちがせがむ。「つまんないな、日曜日なのに。ねえねえ、どっか行こうってば」。あまりの攻勢に、ゴロ寝を決め込んでいたお父さんもようやくその気に...
2017/6/5付 明治15年というから135年前のことだ。のちに「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎は東京・下谷にある永昌寺の一角を借りて講道館を開いた。現在の上野駅からほど近いあたりである。60...
2017/4/20付 東京都内で会社を経営する男性に聞いた話だ。ある画家に油彩で肖像を描いてもらった。絵が完成するまでの間に不思議なことが起きたという。画布にはまず、祖父にそっくりな人が浮かび上...
2017/4/18付 お子さんに頼まれた恐竜図鑑を探しに、お父さんお母さんが書店へと出かける。恐竜の本など見るのは何十年ぶり、という人なら驚くはずだ。恐竜界はすごいことになっている。たとえば人気...
2017/4/6付 「四つ辻へ行って、みんなにお辞儀をして、地面へ接吻(せっぷん)なさい。だって、あなたは大地に対しても罪を犯しなすったんですもの」。ドストエフスキー「罪と罰」の終幕で、殺人者の...
2017/3/16付 並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。1988年、米ピッツバーグ大の付属病院を訪ねた際にもそれを感じた。目立った特徴があるわけでもない一人の男性がこちらに歩...
2017/3/9付 「シ、ノタマワク……」。湯川秀樹博士は子どものころ、祖父から四書五経を徹底的に仕込まれたという。意味はまるでわからなくとも、文字だけをひたすら声に出して読む「素読」だ。漢字の...
2017/2/16付 家を飛び出し、あちこち渡り歩く奔放な異母兄――といえば「男はつらいよ」の寅さんである。本妻の子である妹さくらの心配をよそに、父と芸者の間に生まれたこの兄は足の向くまま気の向...
2017/2/10付 エィッと、悪いやつらに銭が飛ぶ。江戸のヒーロー、銭形平次親分の得意技だ。生みの親の野村胡堂は、大のクラシック音楽好きでもあった。40年間に集めたレコードが1万数千枚。重さで...
2017/2/7付 福沢諭吉は1860年、江戸幕府の軍艦、咸臨丸で初めて米国へ渡った。自伝に初代の大統領だったワシントンの子孫について、ある人に尋ねた際の逸話が載っている。「今どうしているか知ら...
2016/12/29付 1941年8月のこと。首相に直属していた総力戦研究所という組織が、米国と戦争すれば日本は必ず負ける、とする分析を内閣に伝えた。これに対し東條英機陸相は「戦争というものは計...