2016/11/28付
メキシコにある国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT)が正式に発足してから、ことしで半世紀になるそうだ。日本ではあまりなじみがないかもしれないが、20世紀の後半に世界規模で食糧の大増産をなし遂げた「緑の革命」の実績は広く知られている。
▼日本人として誇らしいような悔しいような不思議な気分をおぼえるのは、緑の革命の原動力の一つが日本で生みだされた小麦の新品種だったことだ。岩手農事試験場の農学者だった稲塚権次郎が育て1935年に登録された「小麦農林10号」。背がひくく頑丈なので、たくさん穂をつけても倒れにくいという特長があった。
▼海外で真価を発揮したのは、運命だったというしかない。終戦後、進駐軍の一員として来日した米国の農学者がこの品種を本国に持ち帰った。それをもとにCIMMYTのノーマン・ボーローグ博士らが生み出した新品種が「緑の革命」の柱となった。博士が後にノーベル平和賞を受賞したことからも意義はうかがえよう。
▼千田篤さんの「世界の食糧危機を救った男」という本によると、農林10号が太平洋を渡っていたころ、開発した本人は転任先だった中国大陸で徴用されていた。帰国は敗戦の2年後。稲塚もまた、あの時代に翻弄された一人だった。それでも88年に亡くなるまで農業の改善につとめていたという。その志こそ貴い、と思う。
要約
[296/300文字]
「緑の革命」の実績が知られるメキシコのCIMMYTが発足してから、ことしで半世紀。
緑の革命の原動力の一つが、岩手農事試験場の農学者だった稲塚権次郎が育て1935年に登録された「小麦農林10号」。
終戦後、進駐軍の一員として来日した米国の農学者がこの品種を本国に持ち帰った。
それをもとにCIMMYTのノーマン・ボーローグ博士らが生み出した新品種が「緑の革命」の柱となった。
博士が後にノーベル平和賞を受賞したことからも意義はうかがえよう。
農林10号が太平洋を渡っていたころ、開発した本人は転任先だった中国大陸で徴用されていた。
帰国は敗戦の2年後。
稲塚もまた、あの時代に翻弄された一人だった。
それでも88年に亡くなるまで農業の改善につとめていたという。
その志こそ貴い、と思う。
[196/200文字]
「緑の革命」の実績が知られるCIMMYTの発足から半世紀。
その原動力の一つが、稲塚権次郎が育て1935年に登録された「小麦農林10号」。
終戦後、米国の農学者が本国に持ち帰り、それをもとにCIMMYTのノーマン・ボーローグ博士らが「緑の革命」の柱となる新品種を生み出した。
博士は後にノーベル平和賞を受賞。
農林10号が太平洋を渡っていたころ、戦争に翻弄された稲塚は中国大陸で徴用中で帰国は敗戦の2年後。
それでも亡くなるまで農業の改善につとめた志は貴い、と思う。