[春秋要約170307]「甚大な被害の下で人としてどう動くか」という言葉を今後の備えとしてかみしめたい。<40文字> #sjdis #sjyouyaku

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2017/3/7付

宮城県南三陸町の戸倉小学校は、かつて海岸から300メートルの所にあった。授業で磯遊びをし、サケを飼育した。そんな恵みの一方で、津波の被災マップでは危険ゾーン内。校長だった麻生川敦さんが先生らと避難の方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。
▼話し合ううち、職員室にはラジオがないことがわかり驚いた。非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか、3.11の大きな揺れが襲う。「必ず津波が来る」。子どもら100人と近くの高台へ。だが、そこも30分後に泥流がのみ込んだ。さらに小高い神社へと駆け上がり、空腹に耐えながら、余震におびえ夜を明かした
▼子どもらは自宅が全壊し、各地の避難所へ散り散りになっている。先生らも自らの生活の立て直しに追われた。それでも「学校再開が日常への第一歩」と麻生川さんは信じた。外部団体から教材の支援を受け2カ月後、内陸の廃校で始業式にこぎ着ける。長いバス通学にめげず、子どもらは校舎や校庭で歓声をひびかせた
麻生川さんは今、仙台近郊の小学校校長だ体験を研修などで80回余り伝えてきた。「想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要だ」「地域をよく知る人こそ防災力が高い」など教訓は重い。甚大な被害の下では「教員」としてより、人としてどう動くかが問われると強調する。来るべき日の備えとしてかみしめたい。

要約

[293/300文字]
南三陸町の戸倉小学校は海岸から300メートルで、津波被災マップでは危険ゾーン内。
校長だった麻生川敦さんが避難方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。

非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか3.11の揺れが襲う。

子どもらは各地の避難所へ散り散りになり、先生らも自らの生活の立て直しに追われた。
それでも「学校再開が日常への第一歩」と麻生川さんは信じた。
2カ月後、内陸の廃校で始業式にこぎ着け子どもらは歓声をひびかせた。

麻生川さんは体験から「想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要だ」「地域をよく知る人こそ防災力が高い」と重い教訓を伝える。
甚大な被害の下では人としてどう動くかが問われると強調する。
来るべき日の備えとしたい。

[196/200文字]
海岸から300メートル、津波被災マップでは危険ゾーン内の南三陸町戸倉小学校の校長だった麻生川敦さんが避難方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。

非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか3.11の揺れが襲う。

麻生川さんは体験から「想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要」「地域をよく知る人こそ防災力が高い」と重い教訓を伝える。
甚大な被害の下では人としてどう動くかが問われると強調する。
来るべき日の備えとしたい。