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[春秋要約160915]テルメズの仏教遺跡で大仏塔を発見した民族・考古学者の加藤九祚さんが亡くなった。<39文字> #sjdis #sjyouyaku

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2016/9/15

いっそ人間をやめてしまいたい。仲間を裏切り、殺し合う。忌まわしい光景を見た。底知れぬ怖さを感じた民族・考古学者の加藤九祚(きゅうぞう)さんは、敗戦後、旧ソ連に抑留された日本人60万人の一人だった。強制収容所での出来事をずっと記憶から消すことができなかった。
「みんなと一緒に明るい方を向いて生きていこう」。帰国後、青春の5年間を過ごした極寒の地が留学先、現地調査の舞台だったと考えることにした。出版社に勤めながら、シベリアの研究を始める。この地域の踏査に生涯をかけた19世紀ロシアの探検家プルジェワルスキーのように生きたいと思った(「シベリア記」)。
▼国立民族学博物館の教授となり、シベリア・中央アジアの少数民族や文化を紹介した。シルクロードの遺跡の調査にも力を入れた。1998年からウズベキスタンの古都テルメズの仏教遺跡の発掘・保存活動に加わり、大仏塔を発見している。今月初め、現地入りしていたが、体調をくずし病院で亡くなった。94歳だった。
▼「人間として恥ずかしくない生涯をつらぬけるよう支えてほしい」。抑留中に見送った仲間を思い出しては、願っていたという。プルジェワルスキーの言葉がいつも耳に響いていたかもしれない。「人生はすばらしい。なぜなら旅ができるから」。旅の途中で病に没した探検家の軌跡が、加藤さんの人生に重なってみえる

要約

[292/300文字]
民族・考古学者の加藤九祚(きゅうぞう)さんは、敗戦後、旧ソ連に抑留された日本人60万人の一人だった。

帰国後、出版社に勤めながらシベリアの研究を始める。
この地域の踏査に生涯をかけた19世紀ロシアの探検家プルジェワルスキーのように生きたいと思った(「シベリア記」)。

国立民族学博物館の教授となり、1998年からウズベキスタンの古都テルメズの仏教遺跡の発掘・保存活動に加わり、大仏塔を発見している。
今月初め、現地入りしていたが、体調をくずし病院で亡くなった。94歳だった。

プルジェワルスキーの言葉がいつも耳に響いていたかもしれない。
「人生はすばらしい。なぜなら旅ができるから」。
旅の途中で病に没した探検家の軌跡が、加藤さんの人生に重なってみえる。

[186/200文字]
民族・考古学者の加藤九祚さんは、敗戦後、旧ソ連に抑留された日本人60万人の一人。
帰国後シベリアの研究を始める。
この地域の踏査に生涯をかけた19世紀ロシアの探検家プルジェワルスキーのように生きたいと思った。

国立民族学博物館の教授となり、テルメズの仏教遺跡の発掘・保存活動で大仏塔を発見。
今月初め、現地入りしていたが、体調をくずし病院で亡くなった。94歳だった。

旅の途中で病に没した探検家の軌跡が、加藤さんの人生に重なる。